LOVEパソコン昇天。

パソコンが昇天なされてしまったのでしばらく更新できませんでした。変な音がするな〜と思っていた翌日には立ち上がらなくて、baraに見てもらったら買い換えないと駄目だと宣告されました。メールも撮り溜めた写真もバックアップしてなかった分はすべてさようならだそうです。バカ〜。

はてなのパスワードを見つけられたのは奇跡でした。もう更新できないと思ってしました。でもこれかなと思いついたパスワードを入れてみたら認証! パソコンが勝手にパスワードを覚えていてくれるのは便利だけど、ちゃんとメモを取っておいたほうがいいみたいです。

ナラタージュ

ナラタージュ

ものすごい勢いで女性誌の読書欄に取り上げられているので、業界の仕込とは知りつつも読んでみました。正直に申し上げて、出版するレベルではないと思います。少女日記の域を出ていない。けれど昨今の出版界の追い詰められぶりを見ると、少女日記でいいのかもしれないとも思います。それにしてもたまに校正をやる身としては、読むのが辛かった。本人にまともな文章能力がないのなら、編集か校正がそれを正すべきではないでしょうか。

自転車の駐輪場……駐輪場といえば自転車です。
ビクトル・エルセ……通常の表記ではエリセ。こんなに有名な監督の名前を間違えるなんて。
体の(中略)体温が上がった……ちょっとこれは。

数ページに一回という割合で、この手のミスがあります。書いているうちになにを書きたかったのか本人もわからなくなったらしい長文も散見され、やはりこれは少女日記なのでしょう。

この文章もひどい。
「ずっと先のほうで工事をしている、振っている人の姿ははっきりと分からない、ただ空中で交通整理のライトがゆっくり揺れているように見えた。」
言いたいことはわかるけれど、日本語になっていないですね。

ただ少女日記らしい初々しさはあるし、自分も若ければ楽しめたのかもしれないと思いました。若い女の子が浮かべがちな妄想そのものだけに、感情移入はしやすいでしょう。あなたがオジサンなら、少女の日記を覗き読む感覚で楽しめるはず。

また苦言を呈するなら、物語にアクセントをつけるために人を殺すのはやめて欲しいと思います。リトル・バイ・リトルでも同じことをやっていましたが、その背景も心理も、残されたもののこともろくに描かず、話の転換点として「死」を使うやり方は、卑怯というよりも稚拙。

今の出版界では、作品の出来不出来よりも、作家本人のキャラクター性のほうが大切なのかもしれません。若い女とか最年少とかうつ病とか引きこもりとかドラッグマニアとかゲイとかレズとかそんなのばっかり。作品ではなくて、まず作家本人のことが語られる風潮がすっかり根付いてしまいました。

それでパブ(広告)を落とせば売れるんだから、仕方ないのかもしれません。

評価 35点 少女風味の韓流ドラマでした。じっくり書かれた文章がすばらしいだけに残念。

クドリャフカの順番

7&Yのみんなの書店にnoibara書店を作ってみた。せっかく感想を書いているんだから、大好きな作家さんたちの援護射撃になればいいなと思ったからだ。だけど、どうせそういうことするんならアクセス数の多いamazonでやろうとbaraに言われてしまった(みんなの書店を作ったのはnoi)。それはそうかもしれないけど、わたしはいつも7&Yを使ってる。でもbaraの言うことももっともだ。amazonに移したほうがいいのかもしれない。

クドリャフカの順番―「十文字」事件

クドリャフカの順番―「十文字」事件

わけがわからないことが多いと思ったら、シリーズものだった。これは確かめもせず買ったわたしが悪い。作品自体はそれなりに楽しめた。ネットで調べてみたら、この人も橋本紡氏と同様にライトノベル出身だった。米澤氏も橋本氏も力量高い。これだけ良作続きだとライトノベルとバカに出来ない。児童文学以上の才能の宝庫なのかもしれない。

評価 65点 文化祭っていいね。

ショートカット

久しぶりの仕事でリズムに乗れなくて困っている。上司や同僚もそうらしくて、狭い仕事場はだらっとした雰囲気。気がつくと、全員参加の雑談で盛り上がっている。ふと上司が立場を思い出したように、仕事仕事とつぶやくので、それが少しおかしい。


ショートカット

ショートカット

この人の他の作品に保坂和志推薦の文字があったので読んでみた。若者の感情や短いふれあいを描いており、明確なストーリーはない。その一瞬の流れを描いただけ。その意味において、保坂氏がこの話を推すのはわかる。ただ、なにか足りない。ひとつには文章の精度。艶もないかな。でも寂しさはある。全体として、面白くなりそうなのに、その一歩手前で踏みとどまってしまっている感じ。好きなタイプの作家だけれど、あと少し先に行けないだろうか。今度最新作のフルタイムライフを読んでみよう。それ次第で、この先買いつづけるかどうか決めようと思う。

評価 50点 


プレーンソング (中公文庫)

プレーンソング (中公文庫)

その保坂氏の、おそらく代表作。芥川賞受賞作の「この人の閾」よりも、わたしこちらのほうがはるかにいいと思う。柴崎氏と同様に明確なストーリーはなく、練馬で集団生活を送る若者の日々がただ描かれるだけ。トリックスターのアキラ、その彼女で猫を愛する洋子ちゃん、作家を目指す島田、部屋の主である「僕」、そして保坂氏が自らをモデルにしたというゴンタ、彼らが紡ぎだす日常は、しかし柴崎氏と違って、明確な線を有している。物語を描かないようでいて、実はしっかり描いている。最後の十数ページを読めば明白なことだが、保坂氏はその気になれば重松清並みの人情物だって書けるのだろう。それだけの力を持った上で、あえてこういう話を書いているところに、保坂氏のうまさを感じる。

評価 90点 とにかくすばらしい。

黄色い目の魚

『猫泥棒と木曜日のキッチン』と読み比べるために佐藤多佳子の『黄色い目の魚』を引っ張り出してきた。山本周五郎賞の候補にもなったはずだ。佐藤さんは『しゃべれどもしゃべれども』が本の雑誌の年間ベスト作品に輝いたこともある俊英。

黄色い目の魚

黄色い目の魚

 きれいな表紙に惚れ惚れする。何度見てもいい。これも青春小説で、男の子と女の子の一人称が交互に書かれている。安定した筆力は見事だ。少年少女の心の機微を描くのも抜群にうまい。最後のほうはちょっとやりすぎかとも思うが、これくらいベタな展開のほうがいいのかもしれない。

 同じように子供を描いていても、橋本紡さんと佐藤多佳子さんはかなりベクトルが違う。橋本さんの作品は読んだ後考えさせられる。文章がうまいので軽く読めてしまうが実はいろいろなことを投げかけている作品だ。佐藤さんの本を読んで改めてそのことを感じた。

 評価 70点 二度読むに足る本でした。表紙が本当にきれい。



ガールズ・ブルー (teens’ best selections)

ガールズ・ブルー (teens’ best selections)

 バッテリーで一気にブレイクした感のあるあさのあつこさんの作品。刊行が2003年なので、ブレイク前の話だろうか。地方都市の底辺校に通う女の子が主人公で、その一人称で描かれている。退屈で物足りないそれでも大切な時間。
 やはりあさのあつこはうまい。簡潔な描写が物足りないのは児童文学だからしかたないが、それでもうまいと感じさせる筆力がある。人物の配置も巧みだ。子供の嫌な面もちゃんと書いている。ただ書きすぎていて、それがむしろ説教くさくなっているのはどうかと思うが。
 読みながら吉田修一の「water」という作品を思い出していた。あれも青春小説だが、そこに説教くささは微塵もなかった。わたしは児童文学を大切に思っている。しかしこういう時に限界を感じる。
 それでもこの本がいい本であることに変わりはない。ちゃんとした作家が書いたちゃんとした話であると思う。

 評価 70点 わたしの好みではないけれど、いい本です。

猫泥棒と木曜日のキッチン

 せっかく仕事が休みなのに活字ばかり読んでいる自分は馬鹿だと思う。しかし会社でやる仕事より楽しいのだからしかたない。なにより素晴らしい本に出会える幸福に勝るものはない。

猫泥棒と木曜日のキッチン

猫泥棒と木曜日のキッチン

 この本を読み終えたのは山手線の車内だった。品川駅で降りるつもりだったのに物語に引き込まれてしまって、気がつくと電車は浜松町に着いていた。降りて引き返したほうが早いのはわかっていた。しかし物語に引き込まれていたわたしにはその手間や時間すら惜しかった。ええいかまうものかと思った。このまま一周してしまえと。そして貪るように、同時に愛でるように、この物語を読み続けた。最後の一ページを読み終えて顔を上げると車窓の向こうに平凡な町並みが広がっていた。猫泥棒の少女と少年がそこにいる気がした。そしてわたしは悔しくなった。なぜわたしは彼らと同じ食卓を囲んでいないのだろうか。木曜日のキッチンにいないのだろうか。わたしは切実に、乞うように、その場にいたいと思った。混んだ電車になど乗っていたくなかった。本を読んだ後、こんな思いに駆られたのは本当に久しぶりだった。


「お母さんが家出した。あっさりとわたしたちを捨てた。残されたわたしは、だからといって少しも困ったりはしなかった。サッカーを奪われた健一君、将来女たらしになるであろう美少年の弟コウちゃん。ちょっとおかしいかもしれないが、それがわたしの新しい家族。壊れてしまったからこそ作り直した、大切なものだ。ちょうどそのころ、道路の脇であるものをみつけて……」


帯にはこんなあらすじが書かれている。主人公は17歳の高校生みずきで、彼女の一人称がみずみずしい。交互に健一による一人称のパートが書かれていて、こちらは打って変わってとても情熱的(ホレました!)。佐藤多佳子の『黄色い目の魚』と似た構造だが、橋本紡という耳慣れない作家は佐藤多佳子以上の技量でこの手法を使いこなす。みずきの目に映る健一、健一の目に映るみずき……それぞれの視点にわずかなズレがあり、そのズレが登場人物自身でさえ気づいてない彼らの内面を鮮やかに描き出している。


それにしても不思議な物語である。登場人物は皆なにかを喪失している。みずきは父親と母親を、健一は左足の自由を奪われている。しかし彼らはそのハンディキャップを乗り越えて確かな一歩を踏み出していく。彼らの歩みはたどたどしい。それは痛々しい。なのになぜかとても温かい。


この一年でわたしは二百冊以上の本を読んでいる。有名文学賞受賞作もたくさん読んだ。それでもこの本に勝るものがすぐに思い浮かばない。この本を読んでいる瞬間は至福そのものだった。残り少なくなるページに脅えたほどだ。特に最終章の見事さには舌を巻く。これほど優しいエンディングは滅多に読めるものではないだろう。


とんでもない才能である。
未来の重松清が、未来の角田光代が、未来の瀬尾まいこが、ここにいる。


評価 90点 好みに合致した上、作品としての完成度も申し分ない。あまりにも切なくあまりにも優しい。

雪沼とその周辺

二日前に買った三冊を一気に読んでしまった。いや違う。読まされてしまったのだ。最後の一冊である橋本紡の『猫泥棒と木曜日のキッチン』はゆっくり読もうと思っていたのに一ページ目からいきなり引き込まれ、気がつくと山手線の車内で読み終えてしまっていた。途中で降りるはずの駅をすぎてしまったことに気づいたが、ええいかまうものか一周してやれという気持ちになってそのまま本を読み続けた。ページから目を離すのが惜しかったからだ。読み終わった直後、顔を上げるとそこにはありふれた町並みが広がっていた。町並みのどこかに猫泥棒の少女と少年がいるような気がした。きっと幸せな食卓を囲んでいるに違いない。その瞬間、わたしも同じ食卓についているような気がした。山手線の座席ではなくて、そこにいたかった。すばらしい本に出会った興奮と読み終えてしまった寂しさの間に置かれたわたしはしばらく呆然としていた。今晩もう一度読み返してからこの本の書評を書こうと思う。


ブログはわたし自身の覚書でもあるので『猫泥棒と木曜日のキッチン』にとりかかる前の手慣らしとして他の小説を取り上げておく。


雪沼とその周辺

雪沼とその周辺

 少し前に読んだ本である。連作短編形式なのだが、毎晩毎晩その一話ずつを読んだ。一話読み終えると電気を消して眠るのだ。この本を読んだ後はなぜかよく眠れたような気がする。涼しい日が続いていたせいかもしれないが。表題の雪沼とは地名である。雪沼という町と、その周辺に住む人々の物語だ。各話は微妙につながっており、少しずつ背景が重なっていたりもする。映画的手法にたとえるならおそらく広義のグランド・ホテル形式とも言えるもので、この手法はここ十年ほどの流行らしい。阿部和重なども同様のことをしているし、他にも何人か名前を思い浮かべることが出来る。
 登場人物はみな平凡で格別なドラマはなにも起こらない。一話につき一人の人物を取り上げるという構成になっているが、どの話も文章の八割は人物の特徴や人生の歩みを描くばかりで逸話と言える部分は残りの二割ほどしかない。物語というより人物紹介の特徴が強い。こういう書き方をするとしばしばただの独善と自己吐露に陥りそうなものだが作者はその辺をたくみにコントロールしており、読後は不思議な寂しさや優しさに包まれる。まったくよい話であると思う。

評価 75点 何の文句もない。過もない。不足もない。



東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

ついでもう一冊書いておこう。申し訳ないがこれは買った本ではない。知人が読み終わったからやるよというので貰ってきたものである。世の中には読んだ本をさっさと捨てる人間がいるらしい。おしゃれなようでいて泥臭く、泥臭いようで実はおしゃれな話だった。文章は荒さが目立つもののそれが適度な情動を演出しており、かえって読みやすくなっていたのが面白かった。この話はどこに視点を置くかで評価がかなり変わってくるだろう。つまらないと感じる人もいれば、涙をぼろぼろこぼす人もいるに違いない。それにしても金のかかった本である。発売直後からあちこちで書評に取り上げられるのは間違いなく扶桑社の仕込みだろう。内容の良さが評判になって取り上げられる場合、もう少し動きが遅くなるはずなのだ。出版社持ち回りの宣伝枠である『王様のブランチ』というテレビでいち早く取り上げられたのもやはりひとつの仕掛けだ。本の出来に文句はないがこういう出版社の小ざかしさにはため息が出る。流行を作ろうというやり方もありだと思うが、もう少し内容で勝負したらどうか。

65点 雪沼のほうが好みだが、これはこれで悪くない。自伝らしい強さがある。

読書三昧

せっかくの休みだが暑さは苦手なので部屋で読書に耽ろうと一気に新刊を三冊購入した。単行本ばかりだったので五千円ほどかかってしまった。大人になってよかったと思うのがこういう時である。転職したばかりの貧乏サラリーマンにとって五千円は決して小さい金額ではないが払えない金額ではない。しかし問題があって、大枚はたいて本を買うと、買ったというその事実に満足してしまい、読むこともなくそれどころか本屋の袋からも出さずそのまま部屋の片隅にしばらく置きっぱなしにしてしまったりする。その愚行を繰り返さないため、この三冊の中で一番面白かった作品についてちゃんとした書評を書こうと決めた。それを最近加入した書評サイトに投稿してみるつもりである。入手したのはこの三冊だ。

まぼろし

まぼろし


四月になれば彼女は

四月になれば彼女は


猫泥棒と木曜日のキッチン

猫泥棒と木曜日のキッチン


最初に読み始めたのは生田さんのまぼろしだ。相当期待していたのだが、いささか期待はずれだった。けだるげな作風は今らしくていいと思うものの、それを描く力があまりにも貧弱にすぎないか。最近の純文学作家はどうしてこんなに文章が下手なのだろうか。悪文と言っていいような文章にはずいぶん参った。そのあとに読み始めた川上健一は悪くない。現代性など皆無の古臭い青春小説ではあるが筆が安定している。これが作家というものだよなと思わせてくれる。三分の二ほど読んだところだがこの作品の書評を書くことになるかもしれない。三つ目は初めての作家。黄色い猫の表紙が可愛くて、手に取ってしまった。初めてというのはそれだけでわくわくするものだ。当たりであればいいのだが。