雪沼とその周辺

二日前に買った三冊を一気に読んでしまった。いや違う。読まされてしまったのだ。最後の一冊である橋本紡の『猫泥棒と木曜日のキッチン』はゆっくり読もうと思っていたのに一ページ目からいきなり引き込まれ、気がつくと山手線の車内で読み終えてしまっていた。途中で降りるはずの駅をすぎてしまったことに気づいたが、ええいかまうものか一周してやれという気持ちになってそのまま本を読み続けた。ページから目を離すのが惜しかったからだ。読み終わった直後、顔を上げるとそこにはありふれた町並みが広がっていた。町並みのどこかに猫泥棒の少女と少年がいるような気がした。きっと幸せな食卓を囲んでいるに違いない。その瞬間、わたしも同じ食卓についているような気がした。山手線の座席ではなくて、そこにいたかった。すばらしい本に出会った興奮と読み終えてしまった寂しさの間に置かれたわたしはしばらく呆然としていた。今晩もう一度読み返してからこの本の書評を書こうと思う。


ブログはわたし自身の覚書でもあるので『猫泥棒と木曜日のキッチン』にとりかかる前の手慣らしとして他の小説を取り上げておく。


雪沼とその周辺

雪沼とその周辺

 少し前に読んだ本である。連作短編形式なのだが、毎晩毎晩その一話ずつを読んだ。一話読み終えると電気を消して眠るのだ。この本を読んだ後はなぜかよく眠れたような気がする。涼しい日が続いていたせいかもしれないが。表題の雪沼とは地名である。雪沼という町と、その周辺に住む人々の物語だ。各話は微妙につながっており、少しずつ背景が重なっていたりもする。映画的手法にたとえるならおそらく広義のグランド・ホテル形式とも言えるもので、この手法はここ十年ほどの流行らしい。阿部和重なども同様のことをしているし、他にも何人か名前を思い浮かべることが出来る。
 登場人物はみな平凡で格別なドラマはなにも起こらない。一話につき一人の人物を取り上げるという構成になっているが、どの話も文章の八割は人物の特徴や人生の歩みを描くばかりで逸話と言える部分は残りの二割ほどしかない。物語というより人物紹介の特徴が強い。こういう書き方をするとしばしばただの独善と自己吐露に陥りそうなものだが作者はその辺をたくみにコントロールしており、読後は不思議な寂しさや優しさに包まれる。まったくよい話であると思う。

評価 75点 何の文句もない。過もない。不足もない。



東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

ついでもう一冊書いておこう。申し訳ないがこれは買った本ではない。知人が読み終わったからやるよというので貰ってきたものである。世の中には読んだ本をさっさと捨てる人間がいるらしい。おしゃれなようでいて泥臭く、泥臭いようで実はおしゃれな話だった。文章は荒さが目立つもののそれが適度な情動を演出しており、かえって読みやすくなっていたのが面白かった。この話はどこに視点を置くかで評価がかなり変わってくるだろう。つまらないと感じる人もいれば、涙をぼろぼろこぼす人もいるに違いない。それにしても金のかかった本である。発売直後からあちこちで書評に取り上げられるのは間違いなく扶桑社の仕込みだろう。内容の良さが評判になって取り上げられる場合、もう少し動きが遅くなるはずなのだ。出版社持ち回りの宣伝枠である『王様のブランチ』というテレビでいち早く取り上げられたのもやはりひとつの仕掛けだ。本の出来に文句はないがこういう出版社の小ざかしさにはため息が出る。流行を作ろうというやり方もありだと思うが、もう少し内容で勝負したらどうか。

65点 雪沼のほうが好みだが、これはこれで悪くない。自伝らしい強さがある。