ライターだね、これじゃ

 予定していた原稿が急遽あがってこなくなったので仕方なく七百文字ほどの文章を二本書くことになった。もう時間もなく、なんでもいいから埋めろということだったので、最近読んだ本の感想をだらだらと書いておいた。くだらない仕事だし社員なので原稿料ももらえないが、それでもいそいそ書いている自分がいる。つくづく自分は文章を書くのが好きなのだと思い知る。

幸福な食卓

幸福な食卓

 最初の行がイカしている。お父さんがお父さんをやめるってどういうこと? こう思った時点で読者は瀬尾まいこの手中にはまっている。とにかく達者な書き手である。読者の心を掴むポイントを良く心得ているのだ。父の自殺未遂、母の別居、秀才である兄のドロップアウト……これでもかという勢いで次々に魅力的なキャラクターと状況を投げてくるその才能には驚くばかりだ。しかも、それらを語る文章に無理がない。純文学系の書き手の中には三回くらい読まなければ意味が取れない文章を書く人もいるが(わざと書いた悪文ならいいのだが、そうでない場合は閉口する)、この人にはそういった癖がまったくなく、むしろ癖がなさ過ぎるほどである。この文章を欠点と感じる人もいるだろう。
 もっともこの小説の最大の欠点は、文章ではない。なにより大切なタームであったはずの父の存在と心の傷が、途中から急速に薄れていってしまうのだ。後半に入った辺りでは父親の存在感自体が薄く、それがエンディング近くになって帳尻合わせのように出てくるのにはいささかの疑問を覚えた。あまりにもあざとい恋人の喪失も急に過ぎるだろう。物語を盛り上げるために死を利用するのは常套手段であるが、必然性に欠けるそれは作品として大きな瑕になっている。小説というのはひとつの作品であり、それを纏め上げるためには作者はその隅々までを把握し掌中に収めねばならない。本当に達者な書き手は当たり前のようにそれをしてみせる。重松清吉田修一などの達者ぶりは腹が立つほどだ。この作品において、瀬尾まいこは残念ながらさまざまな観念やキャラクターを掌中からボタボタこぼしてしまっている。作品を御することができなかった。作品の力に当の作家が負けた。書き手として未熟であったということなのかもしれない。
 悪い点ばかり挙げてきたが、なかなかいい話であったからこそ重箱の隅が気になるのである。これだけの素材なのだからもっとうまく料理できたはず……そういう気持ちを抑えきれないのだ。技量の部分さえ成熟させればすばらしい書き手になるだろう。

評価 70点 本当は65点だが、コバヤシヨシコでプラス5点。

いつかパラソルの下で

 児童文学には並々ならぬ思い入れがある。一時期付き合ったことのあるパートナーが児童文学を書いており、その下読みをさせられていたからだ。わたしは消極的な人間なので自分から動くことは滅多にないのだが、他人に引き込まれるとずるずるその道に入っていくことが多い。そうして引き込まれたことのひとつが児童文学だった。森絵都を読んだのもそのパートナーと付き合っていたころだ。あまりのうまさに舌を巻いた。それまで児童文学など子供の読み物と侮っていたのだがそこは実に豊穣な海であった。

したがって今回の書評はいささか微妙なものがある。

いつかパラソルの下で

いつかパラソルの下で

 一般文芸での作品数は決して多くないものの、児童文学を含めればすでに数十冊の著作を重ねたベテランである。凡百の一般作家とはそもそも比べ物にならないほどのタマなのだ。ゆえにそうとうの期待を持って読み始めたのだが、最初は「こんなはずでは」という思いを振り払うことができなかった。もっとできるだろう、森絵都。こんなもんじゃないだろう。これでは凡百の一般作家以下ではないか。しかし結果から言うと期待は裏切られなかった。


 厳格だった父が死んだあと、その父に愛人がいたことが発覚する。そして父が遺した「暗い血」という言葉。仲のよくない三人兄妹はその謎を探るために父の故郷である佐渡を訪ねる。その旅の中、兄妹は父とともに自らのことを知っていくようになる。


 旅によってそれぞれの不仲やトラウマが氷解していくというありふれた物語なのだが、旅に入ってからの展開はさすが森絵都といううまさ。特に父の抱えていたトラウマが実はただの思い込みに過ぎず、「なあんだ」となったあとの飲み会からは、森節全開で楽しいこと楽しいこと。最後はいささかやりすぎのハッピーエンドではあるけれど、それでもいいかという気がしてしまうくらい堪能しました。こういう部分はさすがにうまい。これで前半部分がよければためらわずに傑作と呼べるのだが。

評価 65点 後半だけなら85点。前半の不出来でマイナス20点。

Teen age

 仕事柄、小説家と呼ばれる方の文章を拝読することがたまにあります。わたしが主に手がけているのは企業広報誌の編集や校正で、ああいう小冊子にはおそらくあまり知られていないと思いますが小説家が寄稿しているケースが多いのです。たいていは何らかの文学賞を取った方、つまり企業が利用価値を感じるステータスを背負った方が多い。芥川賞直木賞受賞者が圧倒的に多く(三島賞あたりではステータスになりません)、なかにはもう小説はほとんど書かないで、そういう雑文だけで稼いでらっしゃる方もいます。特に芥川賞関係に多いですね。小説家、しかも有名文学賞受賞者なんだから、さぞかし素晴らしい文章を書くのだろう・・と思うかもしれませんが、これが意外とそうでもない。唖然とする文章を書いてくる方がけっこういます。助詞の間違いや慣用句の誤用くらいなら可愛いものですが、文章がまったく日本語になってないケースなどを目の当たりにするとこちらとしてはすごく困ってしまう。なにしろ相手は「先生」ですから率直に指摘するわけにもいかず、結果そのままおかしな日本語を載せてしまうわけです。やってられません。しかもそのくせ伝え聞く原稿料はとんでもなく高かったりする。

 この仕事についてつくづく思い知ったのは、プロ作家だから、有名文学賞受賞者だから、ベテランだから立派かといえば全然そうではないということですね。特に純文学系の方はその経歴と実力がまったく一致してないことが少なくない。

 今回紹介する本でもそのことを再確認しました。

Teen Age

Teen Age

 七人の女性作家による十代をテーマとしたアンソロジー。出版が去年末で現在三刷くらい行ってるはずです。悪くない売り上げなのでしょう。さすがにうまいなと感心させられたのは角田光代。明らかに手を抜いていて八割くらいの力で書いているのですが、それでもお話になっています。最近話題の瀬尾まいこも、話題になるだけはあります。作品の出来としてはこのアンソロジーの中で一番でしょう。ちゃんと話になってますからね。ただ田舎暮らしをするために都会からやってきた家族の描き方がいささか類型的で、この点はあまりよろしくないと思います。瀬尾まいこは設定などは独創性があるのですが、こういうディテール部分はしばしば類型に流れることが多いですね。それから島本理生も悪くない。一番十代に近い作家なので、そういう感覚がよく出ています。しかしながら、この人の恋愛描写はどうにもべたべたしててわたしは苦手です。彼女は恋愛にいろいろなものをおそらく望みすぎている。むしろ家族を描いたリトル・バイ・リトルなどは感心したのですが。あと、この人の日本語はしばしば必要な精度を失う。仕事感覚で赤を入れてみたところ真っ赤になりました。これを通す編集者はなにを考えているのか。それとも編集者にもこの程度の文章校正能力しかないのか。川上弘美は判断するには短すぎますね。さて、藤野千代、椰月美智子、野中ともそは、困ってしまいました。野中以外はお話になっていないし、どうしようもなく感覚が古い。赤を入れたくなるような表現の連続で困ることも多かった。物語で引っ張っているならともかく、雰囲気で引っ張るタイプのスタイルでその雰囲気が古いとなにを頼りに読み進めていいのかわからなくなりますね。野中は話になっていたもののまるでワタセセイゾウの漫画を読んでいるようで、この時代に八十年代の感覚を持ってこられるとどうにも辛い。
 こういったアンソロジーは作家がそのモチベーションを保つのが難しいのですが、そういう悪い面が出てしまっているかもしれません。あくまでも作家の見本市として考えるなら読む価値はそこそこありそうですが。

評価 35点 よほど暇ならよろしいかもしれません。